企画のたまご屋さん への依頼
企画書の体裁を作り上げて、2007年7月7日にネット経由で「企画のたまご屋さん」へ申し込みをした。何か応対があってもよさそうだとは思っていたが、ほぼ3週間たっても何の連絡もない。確か配信をする場合には連絡すると書いてあった事を思い出す。何の連絡もないという事は、配信はしないという事であろう。ただ、次の行動を起す前に確認をしておいた方が良いだろうと考えて、メイルで問い合わせた。
企画のたまご屋さん 御中
前略
7月7日に【たまごID】TMG01117「漱石の秘恋」の申し込みを致しました。
配信適当ならずとのご判断の場合には、主たる判断理由等を御教示いただければ、今後の参考にしたいと存じます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
すぐに以下の返事がくる。配信をする予定であるというのである。有りがたい事だ。
Subject: Re: 申し込み企画書についての問い合わせ
ご連絡、ありがとうございます。
企画のたまご屋さんで出版プロデューサーのNUと申します。下記の企画の件、私が担当をし、配信を検討しておりました。近日中に、湖山様のところへ連絡をする予定だったことをお伝え申し上げます。
企画配信予定は、9月、もしくは10月の初旬を予定しておりますが、その前にご確認させていただきたいことがございます。
企画が、漱石という国民的文豪に関するものゆえ、湖山様が書いていらっしゃることの、ある程度事実的、歴史的背景を確認できるものはございますでしょうか?
お手数ですが、ご回答をお待ちしております。
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「企画のたまご屋さん」出版プロデューサー NU
<事務局>
ーーー略ーーー
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これは重要な質問であり疑問である。この部分が、実は本書のセールスポイントでもある。早速返事を書く。
NU様
はやばやとご回答有難うございました。ご質問の事実的・歴史的背景の確認の件ですが、次のように考えています。
1. 本書中で見つけて解読した漱石作品中の謎掛けの結果は、漱石自身の告白と考えられます。漱石はそうした告白を繰り返し行っているので、それらが最も重要な信頼できる証拠と思われます。
2. 漱石夫人の「漱石の思い出」の中には、断片的ですが、漱石の恋人についての多くの重要な情報が含まれていると思われます。そうした情報を分析する事により、本書の展開を裏付けする証拠を見いだせると思われます。
3. 大塚楠緒子と漱石の間には、文芸作品を通じての交流がありました。その経緯の分析結果は、二人の間に若かりし頃の交流があった事を示唆しています。
4. 楠緒子と漱石の二人に親交があった佐佐木信綱氏は、昭和三十三年に、明治四十年頃を回顧して、楠緒子と漱石との間にうわさがあった事を、間接的に示唆しています。
5. 荒正人氏の「漱石研究年表」中に、漱石・小屋(大塚)・楠緒子の間に何らかの関係があった事が記されています。以下に引用致します。
ーーーー 漱石研究年表 149ページ以下より引用ーーー
「(小屋と)漱石との間に結婚について暗黙の約束があったともいわれる。漱石と保治との交際が始った後に、漱石と楠緒が知り合いになったものらしい。二人の愛情の内容推移と変化は複雑であろう。」
「漱石・小屋保治・大塚楠緒の三角関係については、小屋家は肯定的であり(小坂晋)、また、小屋(大塚)保治の令息弘の友人たちの間でも漠然と信じられていたらしい。」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
6. 漱石の大学時代の最も親しい友人達は、明治二十七年の事件(漱石・楠緒子・大塚の三角関係と破局)の詳細については沈黙します。ところが、漱石没後に彼等が発表した文章を比較検討しますと、立場により、事件についての記述の仕方が異なっている事に気付きます。そうしたわずかの記述が、事件の存在を暗示し、その経緯を示唆すると解釈されます。
7. 楠緒子恋人説を提示した小坂 晋氏は「漱石の愛と文学」の中に、大塚の故郷である群馬県の風評の取材結果を記述しています。そこでは、三角関係の存在が示唆されています。
以上、提示しました各項については、本書中にて取り上げております。
漱石のこの件に関して、何故直接間接の証拠が少ないかについて述べたいと思います。
第一に、漱石と大塚の両氏が、明治二十七年の事件については秘密にしたいと決心した事が挙げられます。そう決心するには夫れなりの重大な理由があったと思われます。本書では漱石の著作中の記述に拠りその理由を推理しています。
第二に、漱石と大塚の心情に答えて、彼等の大学時代の親友達は、結束して明治二十七年の事件を隠し通したと思われます。この経緯は、事件を隠すべきであると友人達が判断した事を示唆していると思われます。
第三に、漱石も大塚も、受取った私信を焼き捨てております。特に大塚は、人には見せられない手紙として、漱石からの手紙を関東大震災直後に全て焼いています。
以上により、事実的・直接的背景を確認出来るものは、数少ないと思われます。漱石は最晩年に自らを回顧して、「嘘を吐いてはいない」という意味の記述をしています。従いまして、漱石が自身の作品中に書き記した謎掛けこそが、漱石の直接の告白と考えてよいのではないかと思います。
初稿故に至らぬ点が多々あると思います。皆様のお知恵をいただいて、より良い作品に仕上げたいと考えております。今後もどうぞよろしくお願い致します。
その後しばらくして配信予定日が決まったとの知らせが来た。
湖山様
お世話になっております。企画のたまご屋さん出版プロデューサーのNUと申します。
お送りいただきました、湖山さんの漱石企画の出版社へ向けての配信予定日が、10月4日(木)となりました。
今後、9月末までに企画の修正と最終確認をおこなってゆきたいと思います。
しばらくして、次の質問メイルが配信される。なかなか要点をついた質問であり、私の特徴を正確に把握している事が推察される。難問でもある。
湖山様
ご連絡、ありがとうございます。
企画書の内容をつめてゆく際にまずお伺いしておきたいことがございます。
(以下企画書より抜粋)
> 1.若き日の漱石は、自らの恋に「百年の墓守」を設定して、封印した。封
> 印した百年が過ぎ去ったと漱石が気付いたのは、明治41年(1908年)であっ
> た。そうした事実を漱石は謎掛けの形で小説中に封じ込めたが、それからち
1)漱石と大塚楠緒子との明治四十年までのかかわりと
2)自らの恋に「百年の墓守」を設定したこととのかかわりについて。
1.そもそも上の1)2)は関連があるのか?
2.もし関連があるなら、なぜ自分の恋に「百年の墓守」が必要と考えたのか?
3.なぜ百年なのか?
4.なぜその百年が過ぎ去ったの考えたのか?
この4点に関して、それほど漱石を深く読み込んではいない一般の読者にも分かるように、教えていただけますでしょうか。
> ◆原稿完成の予定
> 初稿は完成しています。テフで書き、目次、索引等も作成済みです。
> 本文文字数:およそ317000字。
> ◆この本を制作するために有利な条件
> 初稿はテフによりある程度の形まで完成している点。しかしテフによる製作
> にはこだわりません。
こちらにあるテフとは何でしょうか?
知識不足ですみませんが、教えていただけますでしょうか?
以上、湖山さんの企画は、その内容から、大きく人々の関心を呼ぶ可能性がありますが、そのためには、漱石を熟読した玄人に向けるだけでなく、国民的作家に相応しく一般的な人にも分かるような方向性を目指される方が出版社もオファーを出しやすいのではないかと思われます。
いかがでしょうか?
ご回答、お待ちしています。
さすがに要点をついてくる。私の文体が堅い事、構成にも改良の余地が大きい事を察知しての質問である。本稿はなんとなく大学の卒業論文、あるいは修士論文のような感覚で執筆していたのである。
根幹部分についての御質問、ありがとうございます。
御質問には、各項目毎に回答致しました。最初の御質問には、背景説明が必要ですので、少し長い説明文を記しました。最初にお読み下さいますよう、お願い致します。
どうぞよろしくお願い致します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー背景説明ーーーーーーー 始め
御質問に答える為には、漱石と楠緒子のかかわりについて、明治27年にどのような経緯で破局が訪れ、その後、明治40年頃まで、どのような関係であったかを正確に理解する必要があります。その場合、明治27年の事件については、直接の資料が充分ではありませんので、明治27年から41年までのつきあいの中から、明治27年の経緯を推定する作業が必要となると思います。ここでは、以上を踏まえて、二人の関係についての結論だけを御説明致します。
明治27年の破局の時に、楠緒子に騙されて捨てられたと漱石は感じました。それ以来、若い女は怖いと思い込み、楠緒子に対する不信感を抱くようになりました。この時の「騙されて」というのが、破局の真相に関連する重要なポイントと思われます。楠緒子が自分を愛する振りをしたので騙されてしまい、結果的に(漱石は)自らの決断により身を引き、親友の小屋との結婚を逆に楠緒子に勧めるという苦渋に満ちた決断をするように、楠緒子が自分に仕向けたと、漱石が破局後に思い込んだと思われます。この時漱石は、楠緒子を愛していたにもかかわらず、自らの愛に封印をする決断をしたのです。
これに対して、漱石の明治27年10月の勇気ある申し込みにより、かつての恋心を再び自覚し、漱石を一途に愛し始めていた楠緒子は、大塚家の判断を知った漱石が、最終的に自分を勇気を持って奪い去る事に逡巡し、逆に当初の婚約者であった小屋との復縁を勧める決断をした事に、深い悲しみと怨みを抱きます。
このあたりの事情を楠緒子は自著の「密会」の中で
「君は仇し人と百年の契りを籠めさせ給ひしとばかり、怨は永くそれより儘きず、今は父母同胞の鬼のやうに責められはべりて」
と書いています。(漱石の百年の恋は、楠緒子がこの小説中に記述した「百年の契り」に対応して設定されています。)
小屋との新婚生活に幻滅を感じた楠緒子は、漱石への捨てがたい恋心を、自分の文芸作品の中に織り込み、漱石への訴えを始めます。楠緒子に対する不信感を持つ漱石は、そうした楠緒子の訴えかけを不信の眼差しで眺めます。それが、明治40年末までの、漱石と楠緒子との基本的な関係と思われます。しかしながら、漱石の心底では、楠緒子が自分の「理想の美人」であることには変わりがなく、明治36年の帰国直後の未発表の英詩には、楠緒子への想いと倫理感との葛藤が色濃く反映されていると思います。 明治40年から41年にかけて、漱石と楠緒子の身の上に大きな事件が起こります。列挙しますと、
楠緒子の小説「露」:明治40年7月〜9月連載
漱石の小説「虞美人草」:明治40年6月〜10月連載
漱石の早稲田南への転居:明治40年9月29日
楠緒子から重病の手紙:明治41年5月初め頃:この後、漱石の心境が劇的に変化した。
漱石「夢十夜」:明治41年7月〜8月連載。
明治28年には、松山落ちの形で楠緒子が住む東京から逃げ出した漱石は、明治40年には、心の底に残る楠緒子像を完全に払拭する為に、楠緒子が住む西片町から逃げ出して早稲田南へ転居したと推定されます。ところが、その直後に、楠緒子から重病の知らせと、明治27年の破局の真相が知らされます。明治27年において、楠緒子は自分を騙したのではなく、自分と同様に犠牲者であったと、漱石はこの時点で初めて理解したのです。具体的には、楠緒子の母親の策謀の犠牲者の意味です(夢十夜 第五夜に象徴的に記述されています)。
この時点で、漱石は自分にとって一番大切な女性は楠緒子であるとあらためて悟ったと推定されます。「虞美人草」の終章で、楠緒子に決定的な「NO」を突き付けた漱石は、自分の心の中で楠緒子への想いが復活したことを、「夢十夜」の中に強烈なメッセージを込めて、楠緒子に即座に知らせます。「夢十夜」に含まれるメッセージは以下の通りです。
楠緒子が書いた「百年の契り」に対応させて、漱石は、明治27年から明治41年までの自分を「百年の墓守」と設定しました。今、楠緒子への気持ちが復活したので、その百年は過ぎ去ったと表現したわけです(第一夜)。この百年が、実は明治27年から明治41年に対応している事は、「第三夜」に頻繁に表れる「文化五年辰年」に含まれる謎かけを解けば、判明致します。ここで漱石は、鏡子夫人よりは楠緒子を選択するというメッセージを、謎掛けに込めて楠緒子に送っています。更に第五夜では、漱石と楠緒子の縁談が壊れた原因について書き記しています。これは、破局の真相を初めて正しく理解したという楠緒子宛へのメッセージと思われます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー背景説明ーーーーーーー 終わり
>> 1.若き日の漱石は、自らの恋に「百年の墓守」を設定して、封印した。封
>> 印した百年が過ぎ去ったと漱石が気付いたのは、明治41年(1908年)であっ
>> た。そうした事実を漱石は謎掛けの形で小説中に封じ込めたが、それからち
>
>1)漱石と大塚楠緒子との明治四十年までのかかわりと
>2)自らの恋に「百年の墓守」を設定したこととのかかわりについて。
>
>1.そもそも上の1)2)は関連があるのか?
漱石は明治27年から明治41年までの楠緒子との関係を振り返り、楠緒子が自分の心に復活するまでの経過を、「百年の墓守」と名づけたと思われます。従って「百年の墓守」は、二人のその間の関係を象徴すると考えています。
>
>2.もし関連があるなら、なぜ自分の恋に「百年の墓守」が必要と考えたのか?
「百年の墓守」が必要なのは、明治27年の破局により、一旦は漱石の心の中から消え去った楠緒子が、明治41年に象徴的に復活した事を描く為と思われます。漱石の心の中で楠緒子は完全に死んでいたのではなく、理想の美人という感情を持ちながらも、高い倫理感により封印していたのだと推定されます。
>
>3.なぜ百年なのか?
百年は、楠緒子の「百年の契り」(密会)に対応しています。かつて、自分は貴女に小屋との「百年の契り」を薦めたが、その百年は終わったと今では考えているという楠緒子宛のメッセージの意味で、「百年」を使っていると思われます。百年の始まりが明治27年である事を「夢十夜 第三夜」の「文化五年辰年」の謎掛けにおり込み、漱石にとっての「百年」は明治27年の楠緒子との破局から、明治41年の楠緒子の復活である事を明らかにしています。従って、この「百年」は漱石の実経験の期間と、一致させているわけです。文化五年辰年から明治41年までが実際の100年間に対応しており、謎掛けを解いて得られる象徴的な百年(漱石にとっての百年)は明治27年から明治41年という二重の構造となります)。
>
>4.なぜその百年が過ぎ去ったの考えたのか?
百年が過ぎ去って漱石の心境が劇的に変化した理由の第一は、楠緒子からの重病の知らせと思われます。第二は明治27年の破局の真相を初めて正しく理解して、楠緒子に対する積年の誤解が解けた事です。この結果、漱石の心の中で明治27年の破局前の楠緒子像が復活し、それを「百年が過ぎ去った」と表したと推定されます。
百年が過ぎ去った事が重要なのではなく、百年が過ぎ去った事と同時に、楠緒子が漱石の心の中に復活した事が重要と思われます。
楠緒子が復活した明治41年のこうした心境は、「夢十夜 第一夜」で扱うと同時に、「夢十夜 第三夜」の中で、鏡子夫人よりは楠緒子を選択するという意味の謎掛けを使って、楠緒子に知らせています。 何故、こうしたメッセージを楠緒子に対して送らなければいけないかといえば、前年(明治40年)に楠緒子に対して、最終的な拒否のメッセージを送ってしまったので、それを明確に否定する必要があった為と推定されます。楠緒子は死に至る重病にかかったと知らされたので、自分の新たな気持ちを急いで知らせたいと考えたと推定されます。
>
>こちらにあるテフとは何でしょうか?
>知識不足ですみませんが、教えていただけますでしょうか?
テフはTEXと通常表現されています。文章入力、章目次作成、索引作成、組版まで行えるソフトです。もともとは理科系の論文を形よく出力する為に開発されたものです。
テフ出力をテキストに変換する事が出来ると聞いていますので、テキスト形式で利用する事は容易と思われます。
テフ出力をそのまま印刷して出版する方式もあると聞いています。
テフ出力を画面で見るには、専用のソフトが必要ですので、それを写真にとった図を2枚、参考用として添付致しました。
>
>以上、湖山さんの企画は、その内容から、
>大きく人々の関心を呼ぶ可能性がありますが、
>そのためには、漱石を熟読した玄人に向けるだけでなく、
>国民的作家に相応しく一般的な人にも分かるような
>方向性を目指される方が
>出版社もオファーを出しやすいのではないかと思われます。
>いかがでしょうか?
本書は相当に細かい内容までを、盛り込んでいると感じています。その意味では、贅肉を落とす作業は必要かもしれません。文学的内容には、私の力量もあってあまり踏み込んではいませんので、漱石の小説に精通していなくても、大丈夫と思います。本書でとりあげる重要な作品(三四郎、夢十夜など)については、漱石の作品が手元にある方が、便利かと思いますが、重要箇所は全文引用をしていますので、たとえ手元になくとも、支障はないと思います。
一方では、本書の内容を新書程度の分量にまとめると、読みやすくなる可能性は高いと思いますが、初心から言えば、そうした抜粋的な形式は、次の段階ではなかろうかとも思います。
重要な課題と思いますので、今後ご相談したく思います。
出版社にとっては売れそうな本かどうかは第一に重要なポイントであろう事は容易に理解できる。それに答えるだけの能力が最初から備わっていれば何の問題もないのだが、私の場合は、少々量的に大きくなり過ぎた。新たに全面改訂するだけの能力と時間とやる気が残っているかどうかである。
お世話になっております。
ご教示いただきましてまことにありがとうございます。
近日中に再度企画に関してご連絡をさせていただきます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
1週間後に最終相談のメイルと修正済みの企画書が送られて来た。NU氏の腕が充分に反映されている内容であった。添付されてきた修正ファイルを通読すると、初稿に較べて格段の読みやすさになっている。さすが!
NU様
修正ありがとうございました。とてもわかりやすく、説得力も増したと思います。
いただいた修正ドキュメントの中で以下の3点の修正をお願いしたいと思います。
1)著者名:
昔風に言えば、公務員ですので、筆名でお願いできませんでしょうか。
筆名:加藤湖山
2)類書:
********* **著を削除する。
理由:何故かわかりませんが、私の書架にこの本が入っておりませんでした。早速、手配いたしましたが、配信日までにまにあいそうにありません。
3)見本原稿:
見本原稿の題目に「漱石の秘恋」とありますので、「漱石、百年の秘恋」と修正する。
これは、2箇所あります。
以上です。どうぞよろしくお願い致します。
ご連絡ありがとうございます。
取り急ぎ、もう一つ、お願いしたいことがあります。
見本原稿が、現在2つあがっていますが、できればもう一つ加えていただけないでしょうか。
(説得力が増します)
今まで作成された中で、できの良いと思われるものを以下の形式で、このメールにコピーペーストしてくだされば結構です。
(以下)
見本原稿・・・2「漱石、百年の秘恋」
10.6.4 君なんかとは月とすっぽん
ーーー 以下 略 ーーーー
了解いたしました。文章を少し変えておりますので、修正版の10.6.4節も加えました。
新たにお送りするのは、第10.6.1節です。
ーーー 略 ーーー
以上です。どうぞよろしくお願い致します。
湖山様
原稿ありがとうございます。
修正を加えた原稿をお送りします。
今回のものが、ほぼ配信に近いものとなりますので、何かお気づきの点がありましたら、できましたら今週中にご連絡をいただければと思います。
ーーー略ーーー
それでは、特に双方で連絡がなければ、このまま予定日に配信されます。お気づきの点がございましたら、ご連絡ください。
9月末には、第1回の語句改良作業がおわり、dvi出力をpdf化したファイルをCDにコピーして、指定の住所に送った。
その後はほとんど修正もなく、配信日の10月4日を迎えた。但し、「企画のたまご屋さん」WEBには10月3日付けの配信として、10月3日には掲載されていた。
出版社との最初の打合せは2007年11月5日に行われた。ほとんど全ての検討項目において、意見が一致して、出版に向けての作業が開始された。