無謀な試みー2:「AandB」誌への投稿


    「AandB」誌に掲載されているよう応募要項に沿って原稿を作り、早速郵送した。この雑誌はさすがに日本の伝統を守る意気込みが強いとみえて、コンピュータの利用にはさほど熱心では無いらしい。今の時代にフロッピーで原稿を送れと規定されている。この時代錯誤は何か。いまどきフロッピーディスクドライブをデフォールトで備えるパソコンなどはどこを見てもない。投稿原稿作りには少し労力が必要であった。

      「AandB」編集部殿

      前略

      投稿原稿を送りますので、よろしくお願い致します。
      本原稿(約15900字)は次の仕様で作成しています。

      ************
      ソフトウェア *******

      小生は、*****に奉職しておりまして、国文学に興味をもつ一人として、原稿の出来栄えを省みずに投稿致しました。閲読していただければあり難く存じます。

      要旨 (漱石の恋人) 加藤湖山

       若き夏目漱石の恋人問題と明治二十八年の突然の松山尋常中学校への赴任理由には、今でも多くの謎が残されており、決定的な解明はなされていない。ところが、漱石が英国留学から帰国後に発表した文芸作品の中には、秘かに組み込まれた謎掛けが多数存在する事が認められ、それらの謎解きを行えば、漱石の恋人が明らかになり、その恋人との恋愛の経過さえも明快に読み取れる。謎掛けは、「ある女の訴ふるを聴けば」、「一夜」、「猫伝」、「夢十夜」等に見出され、漱石の恋人は大塚楠緒子であったと特定される。明治二十四年から二十七年の相思の期間を経て、二十八年に二人の破局が生じた事を漱石は謎掛けの中に記していた。破局後の漱石は「女に捨てられた」と思い、楠緒子は「君は仇し人と百年の契りを籠めさせ給ひしとばかり、怨は永くそれより儘きず」と思っていた。夫れ故に明治四十年までの楠緒子の文芸作品による思慕の表明に対して、漱石は懐疑的である。明治四十年から四十一年にかけて、二人の関係に大きな展開が生じた。「夢十夜」は、楠緒子が不治の病に罹ったという知らせの直後に書かれており、それを契機に、明治四十年秋に「虞美人草」と西片町からの転居によって、一旦は漱石の心の中から消し去られた楠緒子は、「夢十夜 第一夜」で復活する。「第一夜」に記されている「百年はもう来てゐたんだな」という言葉は、1808年(実は明治二十八年)に始った漱石の百年の墓守が既に終った事を、楠緒子に対して知らせる言葉だった。更に「第三夜」において、現在の漱石は、「堀田原(鏡子夫人)」ではなくて、「日ヶ窪(楠緒子)」を選ぶとの優しいメッセージを病身の楠緒子へ秘かに送り、「第五夜」では、かつての破局の真相を初めて正しく理解した事を、寓話の形で楠緒子に告げた。こうした明治四十一年の「復活」は、その後の漱石の文芸活動に大きな影響を与えたものと考えられる。

    投稿原稿は次のようなものであった。

          漱石の恋人
             小説中に仕込まれた謎掛けを解く

                                  加藤湖山

        はじめに

       夏目漱石の小説には一人の女と親友である二人の男との間の三角関係がしばしば設定される。いくつかの小説中に描かれている女主人公には、どこか共通するイメージの存在を感じる。そんな事から、若い時代の漱石には、恋人がいたのではないかとの憶測があり、実際、明治二十八年に愛媛の松山尋常中学へ突然赴任した背景には、失恋問題があったのではないかとの噂が当時から流れていた。ところが、漱石の恋人探しは、多くの方々の努力空しく、ほとんど迷宮入りの現状である。恋人候補として主に挙げられるのは、漱石の兄嫁であり、明治二十四年に亡くなった登世(慶応三年生れ)、漱石が里子に出された塩原家で、明治七年頃一年ほど共に生活した日根野れん(慶応二年生れ)、そして、漱石の親友である小屋保治と明治二十八年に結婚した大塚楠緒子(明治八年生れ)の三人である。大塚楠緒子は詩人・小説家として活躍したが、明治四十三年に三十五歳の若さで亡くなった。筆者は、漱石の著述の中に、恋人に関連すると思われる謎掛けを数多く見いだした。その謎を解いた結果から判断して、漱石の恋人問題に決着が付いたのではないかと考えている。漱石の小説中に、現実に存在した恋人との葛藤が反映されている事は充分に想像される事であり、漱石文学を考察する上でも、彼の人生の一面を事実に即して把握する事は、決して無意味ではあるまい。本稿では、その中から重要な謎解き結果を紹介する。

         ーーー 略 ーーー


    その後:
    2007年*月*日に不採用のハガキが届けられた。こうした1枚のハガキで連絡をいただける事が、初めてわかった。良心的な対応である。当然の結果と受けとめる。