漱石が見た風景ーー漱石の散歩道ーー東大周回コース


○ 千駄木時代の漱石は、東大周回コースの散歩をしたと云う。昭和十二年の岩波漱石全集第十七巻の月報に野村傳四氏が漱石の散歩について記述している。

    「明治三十八九年頃の先生、即ち千駄木時代の先生は、よく散歩をされた様である。食前食後の散歩も多かつた。而してそんな時の散歩は、中川芳太郎氏の放送によれば、定まつて、千駄木から本郷三丁目の十字路に出て、そこから東に曲つて湯島天神脇の切り通しを下り、池の端に出て、そこから根津権現様の社内を抜けて帰宅されたと云ふ事で有る。」

推定距離およそ五キロメートル弱であるから、時間にして一時間と少しであろうか。車が多くない時代には、風景の変化があり良い散歩コースであったと思われる。現在同じような周回コースを散歩する場合、車の行き交う幹線道路から少し脇に入った横道や裏通りを歩く方がお勧めではないか。東大正門から東大構内に入り、三四郎池を散策して、竜岡門に抜けるコースも推奨出来る。本郷三丁目の交差点の所だけを(多少)近道するには、漱石が人力車に乗る大塚楠緒子と対面した本郷日陰町を通るといいだろう。但し、あの時漱石が歩いた方向は逆向きであったと推定される。春日通りの切り通し坂を避けて近道すれば、無縁坂を通る。漱石が排斥した岩崎邸の壁をすり抜ける事になる。

『三四郎』の舞台となる文京区周辺の主要な道を、江戸末期(赤色)、明治四十年(黒)、現在(青)と区別して表示した。目印として、地下鉄等の駅を黄色で表示した



千駄木町の漱石の家付近から日本医大前交差点方向を望む


千駄木町の漱石の家から一高へ通う道。左手は現在の東大農学部。かつては第一高等学校であった


本郷通りの東大農学部正門。かつての第一高等学校正門


大学側から眺めた駒込追分。左折した先は旧白山通りと呼ばれる。本郷通りは直進。桜で江戸時代から有名だった飛鳥山に通じる。日本橋からちょうど一里。一里塚の説明板は正面の高碕屋の旧白山通りわきにある


明治37年頃の赤門と本郷通り(『東京帝国大学』小川一真(明治37年)より)

(本図は国会図書館のホームページ画面であり、複製する場合には国立国会図書館の許諾が必要です)


本郷三丁目交差点を、本郷通りの東大側から望む


本郷日陰町。人力車に乗った大塚楠緒子が向うからやって来た道。右側は東大のキャンパス


無縁坂


根津神社大鳥居からS坂を望む


S坂


根津神社。早朝の境内。ラジオ体操や犬の散歩など、静かなにぎわいがある


薮下通り